母が57歳のときにスキルス胃がんが発覚し、すでにステージ4で、余命3ヶ月を宣告されました。
私は母が治ることよりも先に、母が残り時間にどう過ごせるのかを考える方が先決でした。
もし治って2,3年生き延びたとしてもその生きてる間が病院ばかりだったとか、みんなで治せ治せと躍起になって、本人が置いてきぼりになっているような栃木県の放射線治療を受けていた患者さんを見たことがあるからです。
私は母に「余命は1年あるかわからないよ。3ヶ月かもしれないし半年かもしれないし。1年と言われた人が3ヶ月のこともあるんだからさ、ガンはもうあるんだから、いつ死んでもいいように、やりたいことから先にやっていこうよ。もちろん治療もうけてだよ。こっちもやってみなきゃわからないだろうし。」というように話していました。私の中では母が死ぬかも。悲しい。という感情はなく、「私の出番がきた。」と思っていました。
苦労したことは父です。私はもう夫も子供もおり、自分の家庭があります。
しかし父は、母と暮らしてきて、これから一人になってしまうのです。
まだ働き盛りですので、これから自分でお弁当を作り、ご飯を作り、掃除も洗濯もするのです。
今までそのすべてを専業主婦の母がやっていたのですから、当然すごい寂しさを感じると思うし、とても大変だろうと思います。
でもやってできないことはないのです。
私はその時子供がまだ2歳で、子育ての忙しい時期でした。働いていなかったので動ける時間はあったのですが、私はわざと入院の手続きだとか着替えを届ける事だとか、細かいことに手を出さないでいました。
それは母が死んだ後に、父に「母に対して何もしてやれなかった」という後悔の念を抱かせないようにです。
自分は一生懸命だった、でも死んでしまった。と思えるほうが、その後生きていく上で気の持ち方が変わると思ったからです。
私の場合、一人っ子で嫁にも行っていますし、残された父と同居するのも難しい状態でした。
なので、母が生きているうちから、父のほうが心配でした。
母の方は私が心配したって、状況は変わらない。
父が何度も母の元へ足を運び、何度も会話をする機会を持つほうが重要だと考えました。
それに自分が母の立場だったら、やはり主人との時間をたくさん過ごしたいと思うだろうと思います。